これはすごい 7
1人用、2人用、4人用の座席があり、オープンシートとボックスシートの2タイプに分かれる。
このうちボックスシートには、木製の大きなテーブルが備えつけてある。
座席はひろびうと大きく、間隔もゆったり。
清潔で快適なスペースだ。
もちろん食事付きである。
2等車は1列2+2の4人掛けで、ローズ色を基調にまとめてある。
1等車に比べて幾分狭いとはいえ、これでも十分に広く感じられる。
やはり、ボックスシートには木製の折り畳み式テーブルがついている。
1人用、2人用、4人用の座席があり、オープンシートとボックスシートの2タイプに分かれる。
このうちボックスシートには、木製の大きなテーブルが備えつけてある。
座席はひろびうと大きく、間隔もゆったり。
清潔で快適なスペースだ。
もちろん食事付きである。
2等車は1列2+2の4人掛けで、ローズ色を基調にまとめてある。
1等車に比べて幾分狭いとはいえ、これでも十分に広く感じられる。
やはり、ボックスシートには木製の折り畳み式テーブルがついている。
ステンレスの車体に窓のまわりに鮮やかなライトブルーを配したカラーリングは、いかにもスウェーデンらしく澄明な感じで、先頭車のなだらかでモダンな流線型のプロポーションはなかなか優美である。
車内は、1等車が1列1+2の3人掛けで、喫煙・禁煙別など3つに分かれている。
中央部は車内販売用のワゴンや備品を置くスペースである。
座席や荷物棚などをダークブルーにし、またカーペットを敷き詰めるなど落ち着いた雰囲気にまとめられている。
X2000は、編成が現在6両と短い。
これは、想定される乗車人員から判断してこれで十分ということもあるのだろうが、一つにはやはりカーブを走るには短編成のほうがよいという理由にもよるのだろう。
イェテボリの方に向かって先頭が動力車で、これは電気機関車である。
次いで通常1等車が2両、ビストロのある2等車が1両、最後が運転台のついた2等車でこれは制御車である。
スリムなため動力車は1両で十分ということから、この方式が採用された。
X2000はカーブの多い区間を走ることから強制振り子式車両になっているが、同じ振り子式電車のJR中央本線の特急「しなの」と比べてみると、「しなの1号」の名古屋~長野間250.8kmの所要時間は2時間13分、平均時速113kmで、X2000のほうが速い。
スウェーデンの国土条件を考慮すれば、これでも相当なスピードランナーだということがわかる。
なお、スウェーデン国鉄では現在、ストックホルム~イェテボリ聞にスウェーデン初の高速新線の敷設を進めており、一部区間は最近完成した。
最高時速220kmで走れ、将来ストックホルム~イェテボリ間はさらに短縮される見込みである。
ストックホルム~イェテボリ間の距離は456kmあり、X2000はこの間を最速2時間59分で結んでいる。
最高時速は200kmだが、平均時速は153kmといったところである。
これは、世界的にみて200kmを超す高速列車が増えた現在、決して速いとはいえない。
ちなみに、日本の東海道新幹線と比較してみると東京~米原間がほぼこの距離に相当する。
所要時間は新横浜、小田原、名古屋に停車する「ひかり101号」で2時間22分、平均時速は189kmである。
しかし、これは比較すること自体に多少無理があるだろう。
というのは、スウェーデンの場合、まず在来線を走る、国土のほとんどが森林でカーブや勾配が多いといった悪条件をかかえているからである。
南はマルメとヘルシンボリでデンマークと接し、北は白夜のラップランドへと至る。
そして、西はソルウェーの首都オスロへと通じており、途中から分岐して南西に進路を取ると、スウェーデン第二の都市イェテボリへと達する。
これはすごいは、このストックホルムとイェテボリ間をはじめとする幹線に投入されている新鋭の振り子列車である。
1990年9月、ストックホルム~イェテボリ間を走る高速列車としてデビューした。
現在は、北はウプサラ、フォールン、南はマルメといった都市へも足を延ばしている。
森と湖の国スウェーデンの面積は、日本のおよそ1.2倍ある。
しかし、人口は900万人に満たない。
国土のほとんどが森と湖という、豊かな自然に恵まれた国である。
首都のストックホルムは、バルト海に面し、メーラレン湖に浮かぶ14の島で構成されている。
そのたたずまいから、「北のヴェニス」とたたえられる美しい都市である。
スウェーデンの鉄道は、ここストックホルムを軸に南北と西に延びている。
南はマルメとヘルシンボリでデンマークと接し、北は白夜のラップランドへと至る。
H.A.レイは「私は子どもが何を好きなのかわかっているつもりです。
自分が子どもの頃、何が好きだったかを知っているので、子どもの頃好きにならなかったような本は作らないのです」ときっぱりと言っています。
なるほど、ジョージのいたずらに胸ときめかす気持ちは、かつての子どもも、今の子どもも、分かち合えるにちがいありません。
H.A.レイ・・・1898年、ドイツのハンブルグ生まれ。
1942年夫人のマーガレットと共に最初の絵本を出版。
以後、30冊を越える本を出版、10数ヶ国で翻訳されている。
『サーカスをみよう』(石竹光江訳 文化出版局)、『どうながのプレッツェル』(マークレット・レイ作 渡辺茂男訳 福音館書店)などの作品がある。
1977年、他界。
第2作『OKです!』は第2次世界大戦をはさんで1947年に出版されました。
とんとん拍子に進む軽快な絵とお話は、実は吟味を重ね、じっくりと時間をかけて熟成されたものでした。
7冊のシリーズを完結するまでに何と25年の月日が流れています。
動物園から逃げ出したジョージは、バスの屋根に乗って町へ繰り出し、皿洗いをしたり、ビルの窓拭きをしたりしますが、つい好奇心からよそのペンキ塗りに手を出して、つかまえられそうになって足を折り、入院してしまいます(で、そこでもまた一騒動)。
最後は懐かしの黄色い帽子のおじさんと再会し、映画俳優として大成功をおさめるという、素敵にハッピーエンド!
H.A.レイ 文
「あ!パパ、ジョージのシャツ着てる!」
と、娘が歓声をあげました。
夫が近所の商店街で買ったという『ひとまねこざる」のTシャツを着て食卓に現れた朝のことでした。
1941年アメリカで、『OKです!ときいろいぼうし』で主役デビューして以来、ジョージは半世紀以上にわたって愛されてきました。
「これはおさるのじょーじです。かわいいこざるでしたが、ただひとつ、こまったことがありました。それは、とてもしりたがりやだったことです」
という決まり文句を聞いただけで、小さい読者はわくわくせずにはいられません。
ジョージば必ずや期待を超えるいたずらを次々とやらかしてくれるのですから。
調子に乗りすぎて叱られもしますが、ジョージを取り巻く人々は大らかで、ねちねちと小言を言い続けたりはしません。
そしてジョージは一瞬べそをかくことはあっても、やたらと立ち直りが早く、全くこりないさるなのです。